
「あ〜資料作らなきゃ・・・」テンション低めのときに「生成AI」をスパイスに。
忙しい。疲れている。時間がない。
それでもドキュメントの品質は落としたくない。
そんなときに効いたのが、生成AIを「書くための代役」ではなく、自分のテンションを上げるためのスパイスとして使う方法だった。
自分で直してこそ、文章は血肉になる
以前の記事で、私はこんなことを書いた。
AIが書いた文章をそのまま流すのは危険だ。自分で書いた(あるいは直した)言葉でなければ、本当の意味で理解できない。
そして、こうも。
「あなたの手」を効かせて欲しい。自動生成された文章には、改行位置や強調具合など気になるところがあるはずだ。
言っていることは本心だし、いまも正しいと思っている。
ただ、正しいからといって、いつもできるとは限らない。
忙しいと、チェックが浅くなる。
疲れていると、直す気力が削られる。
そんな状況で、次の「実践編」を書かなければならなかった。
しかもさらに、もう一つ前のブログで、
次回は 「実践編」として、実際にGoogleドキュメントとGeminiを使って、ゼロからSlidocsを爆速で作成する具体的な手順を公開します。
と書いてしまっている。
あまり時間を空けるわけにはいかない。
私は生成AIに「村上春樹風にして」と投げた
そこで私は、文章の校正段階で生成AIにこう頼んだ。きっと逃げ出したい気持ちがあったのだと思う。
「村上春樹風にして」
すると、あれよあれよと「村上春樹風」になった。いや、「村上春樹を意識して書いてみた」だ。「ものまね芸をものまねした」ようだった。
とはいえ、比喩が増え、リズムが出て、テンポが変わって、文章の印象が別物になった。
……そして、過剰だった。くどかった。
「いい塩梅」ではなかったのだ。
でも、この中途半端感というか、違和感というか、その感覚が、私を動かした。
人は「中途半端さ」や「気持ち悪さ」を見つけると、それを放置しづらい。
いったん「この文章、なんか気持ち悪いな」と脳が検知すると、無意識にその“気持ち悪さ”を正そうとして、手が勝手に直しに向かう。
なんだかんだ言っても、書き手の中に「自分はちゃんと伝わる文章を書きたい」という基準があるからだ。
そこにズレが生まれると、認知的不協和(矛盾やズレがある状態が落ち着かない)として居心地が悪くなる。
この居心地の悪さが、編集のエネルギーになる。
生成AIに一度わざと“やりすぎ”の文章を作らせると、この違和感が手に入る。
そして違和感があるからこそ、直したくなる。
この流れが、私の「やる気スイッチ」を入れてくれた。
ここからが本番だった。
AIが“やらかした”から、私は”鬼編集者”になった
出来上がった過剰な文章に対して、私は鬼編集者のようにツッコミを入れ始めた。
- 「ここはいらん」
- 「この表現はぽくない」
- 「そこまで回りくどくしなくていい」
- 「もう少し具体例が欲しい」
面白いのは、作業の目的がいつの間にか「直さなきゃ」から「削って整えてスッキリする」に変わっていくことだ。
直しているうちに、テンションが上がっていった。
結果として、
- 自分で内容を理解したまま
- 自分の言葉で整えつつ
- 〆切に間に合わせる
という、ついさっきまで腑抜けていた私には想像もつかないところに到達していた。
生成AIがワークフローのスパイスにもなった
その日は少し夕食が遅くなった。でも、自分で設定した〆切には間に合った。
よかった。
生成AIが、私の作業の流れ(ワークフロー)をこれまでとは違った形で前に進めてくれた。
テンションが上がらなかったときに、ちょっとした刺激を入れてくれた。
まさにスパイスだった。
だから、「実践編」の語調が以前の記事と少し違うのは、この背景がある。
やる気が空っぽのときほど、スパイスを入れる
今後も、
- テンションが上がらないとき
- 行き詰まったとき
- 「あかん、空っぽやー」と感じるとき
そんなときは、生成AIをスパイスとして使っていこうと思う。
ポイントは、生成AIに任せきることではなく、遊ばせて、直して、最後に自分の手で締めることだ。
